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ラムネの歴史

ラムネの歴史

1809年:きゅうり瓶の開発(イギリス)

きゅうり瓶の開発
イギリスのウィリアム・ハミルトンが「きゅうり瓶」を開発しました。
コルクの上から針金やひもで縛り、コルクが乾燥・収縮して炭酸が抜けないようにコルクを常に湿らせるため横に寝かせて置く形に工夫されていました。

1843年:ラムネ瓶の元祖が誕生!

ラムネびんの元祖が誕生!
イギリスで玉入りラムネ瓶が誕生しました。
ビー玉で栓をする製法をイギリスのハイラム・ゴットが発案し、ヨーロッパを中心に大いに普及していきました。
今でも、当時の貴族の城跡からラムネ瓶が発掘されることがあるそうです。

1853年:ラムネは黒船と共にやってきた!

ラムネは黒船と共にやってきた!
ラムネが日本に伝わったのは、1853年にペリー提督が黒船に乗り浦賀に来航したときです。幕府の役人に積んでいた「炭酸入りレモネード」を艦上で振る舞ったことがはじまりといわれています。
このとき、栓を開けるとポンという大きな音がし、シューと泡が出ました。
役人はびっくりして腰の刀に手をかけたという開国ならではのエピソードが残っています。
ラムネという名称は、「レモネード」という言葉がなまったものといわれています。
また、当時はコルク栓を針金で縛ったきゅうり瓶に入っていました。

1860年:長崎で外国人用に販売

イギリス船が長崎にラムネ(炭酸レモネード)を持ち込み、以後長崎で外国人用に販売されました。

1865年:日本での製造元祖!しかし…

日本での製造元祖!しかし…
1865年(慶応元年)長崎の藤瀬半兵衛がレモネードを「レモン水」と名付けて売り出したと伝えられています。
しかし「レモン水」という名は広まらず、その後「ラムネ」の呼び名が一般化しました。

1872年:ラムネの日(5月4日)きゅうり瓶でラムネ製造が盛んに

ラムネの日
1872年(明治5年)5月4日に、東京の千葉勝五郎が「ラムネ」の商業的な製造販売をはじめました。
ここから5月4日が「ラムネの日」となっています。
また、「ラムネ」は俳句の季語にも使われています。

1887年:イギリスから玉入りラムネ瓶を輸入

イギリスから玉入りラムネびんを輸入
1887年(明治20年)には、イギリスから玉入りラムネ瓶を輸入するようになりました。

1892年:玉入りラムネ瓶が国産化

玉入りラムネびんが国産化
大阪の徳永ガラス会社がラムネ瓶の製造に成功したことできゅうり瓶が廃れ玉入りラムネ瓶が大流行しました。
独自に改良が加えられた国産瓶は、その出来の良さに輸出元のイギリス人が驚くほどだったそうです。

1892年:王冠の誕生(アメリカ)

アメリカで王冠が誕生し、欧米では玉入り瓶が廃れました。

1903年:王冠の国産化

王冠の国産化
1900年に、日本でもイギリスから王冠を輸入しはじめ、後の1903年(明治36年)に、王冠は国産化されました。

1904年:王冠使用のサイダーが登場

王冠使用のサイダーが登場
サイダーが普及して以後、日本とインドのみ玉詰の密閉法であるラムネ瓶が残ることになりました。
王冠使用のサイダー登場により王冠のものをサイダー、玉入りのものをラムネと呼ぶようになりました。

1953年:ラムネ生産量がピークを迎える

1953年(昭和28年)にはラムネの生産量は炭酸飲料の60%以上を占めていました。

1989年:オールガラス製ラムネ容器の国内生産が打ち切りになる

打ち切り以後、台湾のガラス会社に委託生産していましたが、こちらも1996年を最後に製造を打ち切っており、現在は生産されていません。

現在

現在
現在、地サイダー・地ラムネブームの到来で、再び注目を浴びています。
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